平安時代から昭和まで「龍の宮物語」を時系列で追ってみた

宝塚星組

「龍の宮物語」で描かれる世界は、昔話の浦島太郎と同様に、地上と龍の宮で時間の流れる速さが大きく違うことが重要なポイントになっています。

物語自体はそんなに複雑な構造ではないと思うのですが、龍の宮と地上を行き来する人物が2人(清彦・瀬央ゆりあと山彦・天華えま)いることに加え、玉姫(有沙瞳)の1000年前の回想や、清彦の子ども時代(奏碧タケル)も描かれているので、意外と色々な時間軸が登場します。

龍の宮が浮世離れしたファンタジーの世界なのに対し、地上での時間軸は「日英同盟」「関東大震災」など具体的な年代が特定できる単語を使ってリアルに描かれているという対比が面白いなと思いました。

具体的な歴史上の出来事を差し込まれると、史学科卒としては血が騒ぐ?部分もあるので(専攻は西洋史ですが)、龍の宮物語全体の流れを時系列に沿ってまとめてみました。

「龍の宮物語」山彦(天華えま)の人生を考えると泣けるという話
「龍の宮物語」で冒頭から「何か知っている感」を見せる清彦(瀬央ゆりあ)の親友、山彦(天華えま)について、後編では山彦視点で彼の人生を時系列で追ってみたいと思います。山彦がなぜ最後に号泣しているのか、時系列で追ってみると納得しかない!と感じました。

前回山彦にまつわる部分は時系列でまとめましたが、龍の宮物語全体となると、平安時代から昭和まで、なかなか壮大な時系列になっています。

以下結末までネタバレ全開ですのでそのつもりでお願いします!
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800~850年(平安時代初期)

玉姫(有沙瞳/星咲希)が雨乞いの生贄として夜叉ヶ池に沈められ、龍神(天寿光希)の妻となる

清彦の祖先にあたる玉姫の恋人(拓斗れい)は、その後別の人と結婚し子孫をもうけたため、玉姫の怒りを買う

夜叉ヶ池は現在の福井県と岐阜県の境界付近に位置する池です。

龍の宮物語の中では「1000年以上昔」としか語られていませんが、夜叉ヶ池伝説の中でもっとも有名な美濃国安八郡の伝説(雨を降らせてもらった代わりに郡司の娘が龍神に嫁ぐ)では817年の出来事とされているので、玉姫が龍の宮に来たのは、平安時代初期の頃と考えて良さそうです。

西暦800年頃というと、都が長岡京から平安京に移って少し経った頃で、2017年に星組で上演された「阿弖流為 –ATERUI–」で瀬央ゆりあが演じた坂上田村麻呂が活躍していたあたりの時代ですね。

1860~70年頃(幕末~明治初期)

清彦の祖父・山彦(天華えま)が龍の宮に連れていかれる(20-25歳)
当時山彦の息子(清彦の父)は5歳前後?

1880年前後(明治初期)

清彦(瀬央ゆりあ)が生まれる

数年後、清彦の父が亡くなり、夜叉ヶ池近くの祖母(山彦の妻)の家に預けられる

子ども時代(8~10歳頃?)の清彦(奏碧タケル)は夜叉ヶ池の畔で玉姫に会い、秋になったら桜蓼を見せる約束をする

よく考えたら子ども時代の清彦が玉姫と会っている時、山彦も龍の宮にいるはずなんですよね。

玉姫は山彦に既に子孫がいると知り、清彦のことも狙いに地上に出てきたということでしょうか。

1890年代後半(明治中期)

山彦が龍の宮から逃げ帰る

地上の時間軸だと山彦は50歳前後ですが、見た目は20歳前後のままです。

山彦の妻・息子は既に他界しており、その後孫の清彦を見つけたのではないかと思われます。

清彦(18歳前後)東京の島村家に書生として下宿し勉学に励む

山彦は清彦を自分と同じ目に遭わせないために、書生仲間として共に過ごしていたと想像されます。

1899年~1900年 夏の終わり 第1幕の舞台

清彦と山彦、夜叉ヶ池近くの島村家別荘で書生仲間と休暇を過ごす

宝塚歌劇団公式サイトの公演解説では、物語の舞台が「明治中期」であると書かれています。

作品紹介 | 星組公演 『龍の宮(たつのみや)物語』 | 宝塚歌劇公式ホームページ
星組公演 『龍の宮(たつのみや)物語』の作品紹介をご紹介します。

清彦が龍の宮に行って少し後の描写が1901年であることは明確なので、そこから逆算すると第1幕の舞台は1899年か1900年の夏かなと想像します。

清彦、島村家の令嬢百合子(水乃ゆり)に桜蓼を見せる約束をする

夜叉ヶ池の畔で玉姫を助けた清彦が、龍の宮に連れていかれる

1901年(明治34年)

島村家で働くお滝(澪乃桜季)が日英同盟交渉開始という新聞記事を読んでいる

清彦は行方不明のまま、書生仲間は卒業後の進路について話し合う

日英同盟締結は1902年1月30日なので、その前年の1901年の出来事と思われます。

1905年(明治38年)

島村家の女中お梅(侑蘭粋)が日露交渉開始という新聞記事を読んでいる

書生仲間はそれぞれの道に進み、山彦だけ島村家に残る

1904年に始まった日露戦争は、1905年9月に締結されたポーツマス条約によって講和が結ばれているので、1905年の出来事と思われます。

百合子は体を壊して数年間療養生活を送る

百合子、白川(朱紫令真)と結婚

雪子(白川と百合子の娘)が生まれる

1923年9月1日(大正12年)

関東大震災で百合子、山彦が亡くなる(40歳前後)

1929-31年(昭和4-6年)

アメリカから始まった世界恐慌の影響で、日本でも多くの会社が倒産し、失業者が溢れる

白川、事業に失敗し、家族で夜叉ヶ池近くの島村家別荘へ引っ越す

1930年代前半(昭和10年前後)第2幕の舞台

清彦が龍の宮から戻った30年後の世界

清彦、島村家別荘前で百合子と間違えて娘の雪子に話しかける

清彦、東京でずぶ(流しの乞食)になっていたところを酒場の女主人・多江(澪乃桜季)に拾われ店の下働きになる

1年後
清彦が龍の宮から戻った後の1年間、夜叉ヶ池近くの村々では日照りが続き、その地域で生計を立てる白川や金本(遥斗勇帆)が苦境に立たされています。

龍神の力が及ぶのは、夜叉ヶ池の近くのみで、東京では普通に雨が降っている様子です。

夏の終わり
清彦、多江の店で白川と再会し、雪子が借金の肩代わりとして、銀山(美稀千種)と金本(遥斗勇帆)に雨乞いの生贄にされそうになっていることを知る

清彦、島村家別荘に行き、山彦(亡霊)から玉姫と自分の因縁について真相を聞く

清彦、雪子を助けるために雨を降らせる約束をし、再び龍の宮へ向かう

龍の宮で玉姫は清彦をかばい、龍神に斬られて亡くなる

1930年代後半~40年頃(おそらく第2次大戦直前~戦時中)

清彦、再び龍の宮から戻る

龍の宮の時空では数時間の滞在だとしても、地上の時間軸では数年が経っているのではないかと思われます。

そうすると日本は1940年頃、第二次世界大戦直前か真っ只中になっているはずです。

そのような厳しい時代に、愛する人や友人などを全て失った清彦が生きて抜いていけるのかどうか。。。

龍の宮物語のラストシーンでは、清彦が玉姫の形見の布を握りしめて歩き出したところで幕が下ります。

その後清彦がどうなったのかは描かれていませんが、あまり明るい行く末は望めない気がしてしまいます。

 

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