星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」では、原作よりもアーサー(瀬央ゆりあ)とローラ(紫りら)の関係が大きく描かれています。
アーサーもローラも「嘘つき」なので、2人の会話のどこまでが本音でどこからが嘘なのか、表情や声色などのニュアンスも含めて色々な解釈の仕方ができるなと。
2人の関係性や、ストーリーのクライマックスとなるアーサーVSローラのゲームが意味することなど、深掘り考察してみたいと思います。
似たもの同士のアーサー(瀬央ゆりあ)とローラ(紫りら)
原作「理想の夫」を読んだ時には、ロバート(綺城ひか理)とガートルード(小桜ほのか)、アーサー(瀬央ゆりあ)とメイベル(詩ちづる)という2組のカップルが対照的に描かれていると感じました。
お互い理想の姿を見ていたために破綻しかける主人公カップルのロバートとガートルードに対し、ありのままの姿を受け入れているので上手くいくサブカップルのアーサーとメイベル、という構造です。
ただ「ザ・ジェントル・ライアー」ではロバートではなくアーサーを主人公として描くにあたり、アーサーに「ローラを本気で愛して傷ついた過去」と「自分の本心に向き合えない臆病さ」という要素を足しています。そのため、アーサーとメイベルの2人にも障壁があり、ロバート&ガートルードとの対としては機能しなくなっています。
その代わりに「ザ・ジェントル・ライアー」ではアーサーとローラに「嘘つき」で「愛に対して斜に構えてしまう」という共通点を持たせています。それにより、愛に真っ直ぐなロバートとガートルードと対になる存在として、アーサーとローラが位置付けられているのかなと感じました。
ロバートとガートルードの例を出して「多分愛っていうのは僕達が思っているよりずっと崇高なものらしい」と、アーサーがローラに言う台詞からも、「僕達」と自分とローラを同じ側の人間として認識していることがわかります。
またアーサーはプレイボーイで女性に対し常にジェントルに接する人物ですが、ローラに対してだけは、馬車の中で不機嫌な顔をして黙り込んだり、屋敷に入り込んだことに怒鳴ったりと、ストレートに相手に負の感情をぶつけています。
メイベルとはまた別の意味で、アーサーにとってローラは自分の悪い面をさらけ出せる唯一の存在なのかもしれないなと感じました。
アーサーVSローラのゲームは「愛」を信じるか
そんな似た者同士の二人が「ラスト・ゲーム」で賭けるのは、「ロバートとガートルードの愛」です。
ガートルードがアーサーに宛てて書いた、一見ラブレターのようにも見えてしまう手紙。これをロバートが見ても、ガートルードを疑わず愛し続けられるのかどうか。
それでもロバートとガートルードが関係を修復できたら、アーサーの勝ち。
ローラは無条件でロバートのスキャンダルの証拠をアーサーに渡す。
手紙が原因でロバートとガートルードが別れることになったら、ローラの勝ち。
アーサーはローラと結婚しなければいけない。
というのがゲームの条件です。
アーサーはロバートのために自分の将来までも賭けるというギャンブルに打って出ているわけですが、ロバートとガートルードを勝手に賭けの対象にしているという点では、アーサーとローラはある意味共犯関係とも言えるのかなと。
「愛なんて」と思っている似た者同士のアーサーとローラでしたが、ここでアーサーは愛を信じる方に賭け、ローラは変わらず愛を信じない方に賭けたというわけです。
結局手紙を見てもロバートがアーサーとガートルードの仲を疑うことはなく、幸運な勘違いもあってロバートとガートルードは関係を修復できたので、このゲームはアーサーの勝利となりました。
アーサーは自分が信じた「ロバートとガートルードの愛」が勝つ姿を目の当たりにしたことで、ようやく自分自身の愛とも向き合う決意ができたのかなと思います。
原作ではアーサーがローラを脅し返して決着
原作「理想の夫」では、アーサーとローラの対決は全く別のものになっています。
ローラがアーサーに結婚を迫るのは原作でも同じなのですが、アーサーはそれにはまともに取り合いません。そしてローラが過去に盗みを犯した証拠を突き付けて、窃盗の容疑者として告発されたくなければ、ロバートの手紙を渡せ、と逆にローラを脅迫し返すのです。
アーサーがローラを追い詰める切り札となるのが、ローラのブローチです。これはかつてアーサーが親戚に贈ったもので、誰かに盗まれて騒ぎになっていたのでした。
アーサーはこのブローチがブレスレットとしても使えることを利用し、ローラの腕にはめます。しかし盗んだためその仕掛けを知らなかったローラは自力でブレスレットを外すことができず、観念してロバートの手紙をアーサーに引き渡します。
原作では、遊び人でお洒落や贅沢好きというアーサーの特性が、結果的にローラを打ち負かす切り札になっていて、痛快で上手い展開だなと思います。
原作を読んだ時、このシーンを舞台上で見るのが楽しみだなと思ったのですが、「ザ・ジェントルライアー」ではこの展開はありませんでした。
ローラのキャラクターが原作から変化
原作「理想の夫」と宝塚版「ザ・ジェントル・ライアー」では、ローラのキャラクターというか本性が結構変わっているなと思います。
原作でのローラは「フェアプレイをする」と言っておきながら、ゲームに負けロバートの不正の証拠がアーサーによって燃やされた後でも、嫌がらせのためにガートルードの手紙を奪ってロバートに送り付けるような、往生際の悪い人物です。
だからこそ原作でのアーサーは、ロバートの不正の証拠を取り返すだけではなく、ローラの弱みを握って脅迫し返すという強硬な手段に出る必要があったのだと思います。
一方「ザ・ジェントル・ライアー」でのローラは、潔く負けを認め引き下がる人物として描かれています。
原作と比べると、あまりにもローラの物分かりが良くて少しびっくりしてしまうのですが、宝塚版では「紳士と淑女のゲーム」を主題にしているので、ゲームの参加者である登場人物は、ゲームのルールを守ることが大前提となっているのかなと。
また、宝塚版ではローラを主人公のアーサーと似たもの同士という設定にしているので、単なる悪役というわけではなく、「愛を信じるか信じないか」という最後の賭けによって道が別れる存在として描いているのも一因かなと思います。
ローラはアーサーを本当に愛していた?
原作ではアーサーとローラの関係は、お互いに過去の火遊び程度として描かれています。一方「ザ・ジェントル・ライアー」では、アーサーは当時本気でローラを愛していて、財産目当ての彼女に捨てられた後、二度と人を愛せない程に傷ついています。
ローラの側はどうかというと、これは観る人によって解釈が分かれるかなと。アーサーのことを好きだったと言ったり誘惑したり、という再会後のローラの言動を、全て「ゲームに勝つための嘘」と捉えることもできると思います。
ただ個人的には、ローラの嘘の中にもいくつか真実が混じっていて、もしかすると実はローラの方も、婚約当時アーサーを本気で愛していたのではないか、と仮定してみたくなります。
これは完全に私の妄想ですが、貧しいローラにとって結婚は成りあがるための手段に過ぎず、何度も結婚相手を変えることで更に上へ昇り詰めるというような人生プランだったとします。(実際にローラは複数回結婚をしています)しかしアーサーを本当に好きになってしまったため、もし結婚したら自分はアーサーを道具として利用することに耐えられるのだろうか、と自問し、情の無い別の成金男爵に乗り換える決断をした、なんてこともあるのかなと思ったりしています。
アーサーとローラの最後の会話に込められたもの
アーサーとローラのゲームが決着し、潔く負けを認めてロバートの不正の証拠を差し出したローラに対し、アーサーは勝ち誇るのではなく、静かに「ありがとう」と言って額にキスをします。
この行動はアーサーの優しさの表れであると同時に、本当にローラに対して感謝の気持ちを持っている部分もあるのかなと思います。
ローラが引っ掻き回したことで、ロバートとガートルードは、理想ではなく真実の相手の姿に向き合うことができました。
また、アーサー自身も、ガートルードへの思いも含めて過去にケリがつき、今の自分の気持ちに向き合うキッカケになったのだと思います。
ローラは去り際にアーサーを「一緒にウィーンにいらっしゃらない?」と誘います。この一言だけは裏に何の打算も無い本心で、ローラなりの愛の告白だったのかな、と感じました。
それに対しアーサーは「僕にはやるべきことがある」と断り、ローラは「でしょうね」と言って去ります。
ローラに「でしょうね」と言われた後、アーサーがとても穏やかな顔で微笑んでいるのが印象的でした。ローラからの思いを受け取って、アーサーの中でようやく過去のトラウマが完全に解消されたのかなと思います。