ミュージカル『ネクスト・トゥ・ノーマル』を観劇してきました。この公演は、安蘭けい主演のAチーム、望海風斗主演のNチームという2チーム制で、全員チーム固定のダブルキャストで上演されています。
私は9年前の日本初演も観ていて、今回も両チームとも観ることができましたが、それぞれのチーム、キャストによって見えてくるものが違い、まさにWキャストの醍醐味を味わえたように思いました。
各チーム1回ずつの観劇のため、見切れていないところもたくさんありますが、せっかくなので比較感想を書いておきたいと思います。
ダイアナ:A 安蘭けい、N 望海風斗
ダイアナは家族の母親であり、息子のゲイブが生後8か月で病死したことをきっかけに、16年間に渡り双極性障害を患っています。
そのため劇中でのダイアナはエキセントリックに見える言動が多いのですが、夫のダンは病気を患う前のダイアナのことを「大胆で聡明」(原曲だとbrilliant and bold)だったと歌っています。そのダイアナの本質のうち、安蘭ダイアナは「大胆」、望海ダイアナは「聡明」という印象がそれぞれ強く感じられたなと思いました。
大胆で天真爛漫な安蘭ダイアナ
安蘭けい演じるダイアナは、クレイジーモードの時でも、根底に流れているものが、なんというか「陽」で奔放な感じがするんですよね。
幕開きの家族での朝食の場面、「ダイアナの様子がおかしい」ことの描写として、彼女がイスや床にもパンを並べ続けるシーンがあるんですが、その並べ方に安蘭ダイアナと望海ダイアナでかなり違いがありました。
今回望海ダイアナの方を先に観ていて、望海ダイアナは机に何枚、イスに何枚、床に何枚、みたいに割とキッチリした感じで並べていたように見えたので、その後安蘭ダイアナを見た時、自由だなー!と。安蘭ダイアナは並べ方も大雑把で、床にもの凄い数のパンを敷いていました。
ドクター・マッデンがロックスターに見える場面でのリアクションなどでも、安蘭ダイアナはラテン系というか陽で自由だなと。
なので、もし病気のことがなかったとしても、安蘭ダイアナと家族の関係性は、実はそんなに変わらないんじゃないかな、という気がしました。
安蘭ダイアナは「周りを振り回す天真爛漫なママ」で、劇中では病気の影響として語られている失敗談(娘ナタリーの学校行事に行き損ねたり、プールで溺れたり、娘に運転を教えていて自分が事故を起こしたり)も、安蘭ダイアナなら普通の状態でも結局やらかしていて、且つ笑い飛ばしていそうだなと。
ピクニックに行っても「サンドイッチのパンだけ山ほど持って来たのに、具を忘れてきちゃったー!もうやだー!」という感じで、夫の岡田浩暉ダンはそんな妻を楽しそうに見ていて、娘の昆夏美ナタリーは「もうママしょうがないなー」と言いながら健気に味のついていないパンを食べる、みたいな。
安蘭ダイアナと家族の在り方自体がそもそもnext to normalというか、決して息子ゲイブのことがあったから真逆の姿になったわけではなくて、悲しい方向に少しズレてしまっただけ、という風に見えたのが印象的でした。
聡明で悲劇性の強い望海ダイアナ
一方で望海風斗演じるダイアナは、大学の建築学科で同じことを学んでいたダンも一目置くような才気溢れる聡明さが魅力の女の子だったんだろうな、というのが伝わってくる人物でした。だからこそ今の自分の姿へのやり切れなさ、辛さ悲しさといったものが強くにじみ出ていたなと。
望海ダイアナは、もし学生時代にゲイブを妊娠しなければ、卒業後は建築の世界でバリバリ働く女性になって、ダンともお互い対等に仕事も家庭のこともやるような夫婦になっていたんじゃないかな、と想像させるような雰囲気がありました。
なので、まず望まないタイミングでゲイブを妊娠し大学を中退したことが、ダイアナにとっては大きな挫折で、だからこそ「生まれてきた息子の顔を見た時に全てが納得できた気がした」と、自分自身の人生の意味を彼に見出しているんですね。
劇中でダイアナはずっと成長した息子の幻覚に依存して生きているわけですが、望海ダイアナは、元々ゲイブが生まれた時から彼への依存度が高かった、という面が強く出ていた気がしました。
だからこそ自分の全てをかけた息子を8か月で失った衝撃というのは、望海ダイアナにとって凄まじいもので、とても正気では受け止められなかったのだろうと。
そんな望海ダイアナの家族である夫の渡辺大輔ダンも、娘の屋比久知奈ナタリーも、とても不器用なんですよね。お互い相手のことを想っているのに上手くいかなくて、傷ついたり傷つけてしまったり、というのが痛々しいまでに伝わってきて、悲劇性の高い印象になっていた気がします。
ゲイブ:A 海宝直人、N 甲斐翔真
ゲイブはダイアナとダンの息子ですが、実際のゲイブは生後8か月で病死しています。next to normalを語る上で「ネタバレ」とされているのがこの点で、舞台上に高校生の男の子の姿で登場するゲイブは、母ダイアナの幻覚だということです。
ゲイブという存在にも色々と解釈の余地があるので、正直1回ずつの観劇では見切れなかったなと。きっとゲイブだけをずっと見ていたら、まだまだ気づけるポイントがたくさんあるはずという前提の上で、Wキャストのゲイブの印象を少し書いてみます。
まず初めに観たNチームの甲斐翔真ゲイブは、妹ナタリーが「ヒーローでプリンス」と歌うように、まさに望海ダイアナの理想の息子であり疑似恋人的な王子様要素の強い印象でした。劇中最後に父ダンが息子の名前を呼びますが、ゲイブのフルネームは「ガブリエル」で、「天使」なんですよね。
甲斐ゲイブはダイアナが薬を捨てる姿を、とても心配そうな優しい表情で見ていたのが印象的で、望海ダイアナが「そうあってほしい」と思う姿で常に寄り添ってくれる存在(だからこそ依存して抜け出せない)のように感じました。
一方Aチームの海宝直人ゲイブは、もはやダイアナにも制御がきかなくなった存在で、安蘭ダイアナの手を離れて暴れまわっている、という印象を受けました。
ダイアナが薬を捨てる場面で、甲斐ゲイブが心配そうにしているのに対し、海宝ゲイブは無表情で眺めていて、「パパはどう思うかな?」とダイアナが聞くと、海宝ゲイブは「気づかないさ」と切り捨てるように言うんですね。(甲斐ゲイブは「気づかないから大丈夫だよ」というような穏やかな雰囲気に見えました)
安蘭ダイアナがエリザベート、海宝ゲイブがトート(そして岡田ダンがフランツ)のように見えるシーンもあり、天使・白という印象が強く出ていた甲斐ゲイブに対し、海宝ゲイブは天使と悪魔、白と黒を併せ持つ存在に見えておもしろかったです。
ダン:A 岡田浩暉、N 渡辺大輔
ダイアナの夫ダンは、精神を患っている妻を長年献身的に支え続けている人物として描かれていますが、ストーリーが進むにつれて、ダン自身も精神的に危うい状態であることが明らかになっていきます。
ダイアナが息子ゲイブの幻覚に依存しているのと同じように、ダンもある意味ダイアナの存在に依存して生きてきたのだと思うのですが、その依存の対象が岡田ダンと渡辺ダンで違うように感じました。
まずAチームの岡田ダンは、「病気の妻を支える夫」という立ち位置に依存している印象が強いかなと。
ダンは妻と同じ病気の人が情報交換をするグループチャット?で交流をしたり、会社の複数の女性社員に妻の病気のことを相談したりと、かなり積極的に行動をしています。それはもちろん愛する妻の病気を治したいという気持ちによるものですが、岡田ダンは「病気の妻のために奔走する夫」という割合を高めることによって、自分自身に目を向けずに済む、という一面がにじんでいたような気がしました。
一方Nチームの渡辺ダンは、ダイアナ自身への依存というか、とにかくダイアナを失うことだけは絶対にありえない、という必死さを感じました。
おそらく付き合い始めた学生時代から、渡辺ダンの方が望海ダイアナに強く惹かれていたのでは、と思わせる関係性で、ダイアナが自殺未遂をした時のダンのショックの受け具合が印象的でした。電気ショックで記憶が無くなろうが、記憶をすり替えてしまおうが、ダイアナが存在しさえすれば何だって構わない、というある意味狂気に近いものを感じた渡辺ダンでした。
結局劇中の最後でダイアナは自分自身の力で悲しみと向き合うために家を出ていき、1人取り残されたダンの方が、今度はゲイブの幻覚を見るようになる(ダイアナ以上にゲイブの死に向き合えていなかったのはダンだった)・・・という結末になっていくわけですが、ゲイブはその少し前の場面から、ダイアナではなくダンの方をロックオンしているように見えるんですよね。
ダンにゲイブが見えていると明らかに描かれるのは最後の場面だけだと思うんですが、渡辺ダンはその前にも一か所、ダイアナではなくゲイブを凝視しているように見える場面があって、私の見間違いかもしれませんが、渡辺ダンはずっと前から自分にとってのゲイブの存在を感じていたのかも、などと考えてみるとまた面白いなと感じました。
ナタリー:A 昆夏美、N 屋比久知奈
ダイアナの娘であるナタリーには、生まれた時から「見えない兄ゲイブ」の存在が大きくのしかかっていて、兄の幻覚に依存している母と、その母を中心に全てが回っている父、という家庭環境の中でもがいています。
ナタリーもまさにWキャストの面白さを実感するような、全く違った人物像に見えました。
まず強烈だったのがNチームの屋比久知奈ナタリーで、彼女のナタリーはもの凄く不器用で、尖っているんですね。屋比久ナタリーに強く感じたのが「怒り」で、母に対する怒り、父や兄に対する怒り、自分でも説明できない怒り、など色々な苛立ちや怒りが渦巻いているなと。
屋比久ナタリーは、母ダイアナが冒頭で歌っているように本質的に「天才で変人」で、自分でも他のクラスメート達とは感性が違う変わり者であることを強く自覚しているように見えました。だからこそ最後にヘンリーに吐露するように、自分もいつか母親のように狂ってしまうのではないか、という恐怖にずっとおびえていたように思います。
なので物語終盤でナタリーが行きついた「普通の隣、next to normalで良いんだ」という結論は、母ダイアナだけでなく、屋比久ナタリー自身も救うものだったのではないかなと。
一方Aチームの昆夏美ナタリーは、怒りよりも「悲しみ」の方が強く感じられる人物でした。昆ナタリーは変わり者というよりも繊細で内向的で、自分の静かな世界が乱されないことを一番に望んでいる(だからこそ調和のとれたクラシック音楽が好き)という感じかなと。
屋比久ナタリーが母ダイアナにかなり攻撃的なのに対し、昆ナタリーは自分が傷つきながらも母親思いの女の子で居続けてきたんだろうな、というのがずっと感じられました。
ヘンリー:A 橋本良亮 (A.B.C-Z)、N 大久保祥太郎
ヘンリーはナタリーのクラスメイトで、恋人になっていく存在です。ヘンリーのWキャストはまず見た目から全然違っていて(線の細い橋本ヘンリーと、ふわっとした大久保ヘンリー)、ナタリーとの組み合わせの妙もあり、人物像も全く違って見えました。
まずAチームの昆ナタリーに対する橋本ヘンリーは、ナタリーと同じ位繊細で内向的な男の子かなと。ナタリーの領域に土足では踏み込まず、毎回勇気を出して一生懸命ノックをして様子をうかがっているようなイメージで、だからこそ昆ナタリーは「この人なら自分を傷つけない」と安心できたのかなと感じました。Aチームのナタリーとヘンリーは、似た者同士だからこそお互いを救うことができた、という印象です。
一方Nチームの屋比久ナタリーに対する大久保ヘンリーは、「ナタリーが四角でヘンリーが丸」と歌詞にある通り、鋭角に尖っているナタリーに対し、クッションのようなヘンリーだなと。大久保ヘンリーはナタリーの独特の感性に絶対的に惹かれていて、ナタリーが変なことを言ったり攻撃的になったとしても、それ自体を面白がって受け止めてくれるような人物に感じました。それが変わり者を自覚している屋比久ナタリーにとっては、とてつもなく大きな救いになったのではないかなと。
劇中でダイアナとダン、ナタリーとヘンリーのカップルを重ね合わせるような描写がありますが、Nチームの、男側が女側の感性のようなものに強く惹かれてかなわないなと思っている感じは、確かにとてもよく似ているな、と思いました。
ドクター・マッデン:A 新納慎也、N 藤田玲
ダイアナの新しい主治医となるドクター・マッデンですが、彼の真意はどこにあって、どういう存在なのか、というのも考え甲斐のあるポイントだなと思うのですが、正直1回ずつの観劇ではそれぞれの違いまでは見切れませんでした。。。
なのでもしまた再演のチャンスがあれば、ドクター・マッデンについても色々考えながら観てみたいなと思います!