ミュージカル「イリュージョニスト」ネタバレ有あらすじと取り留めのない感想

ミュージカル

ミュージカル『イリュージョニスト』を観劇しました。

 

ほぼ予備知識なく、ストーリーに何か大きな「ネタバレ」があるという位しか知らずにふらっと観に行ったのですが、最後のどんでん返しでスッキリ!というのではなく、観劇後に良い意味でも悪い意味でも「後味の悪さ」を引きずるインパクトのある作品でした。

1幕55分2幕65分というミュージカルとしてはコンパクトにまとまっている中で、最後までずっと繊細で張り詰めた緊張感が舞台上と客席を支配していたように思います。

そしてプリンシパルの海宝直人さん、成河さん、愛希れいかさん、栗原英雄さん、そして濱田めぐみさん5名とも全方面に素晴らしいクオリティで、質の高い引き締まった舞台を見せていただきました。

この公演はチケットに「ネタバレ禁止」と書いてあり、SNS上ではネタバレ無しの感想しか出回らない環境になっているのですが、ここではネタバレも含めた物語展開と、作品初心者の取り留めのない感想を書いておきたいと思います。

3/27 やはり色々なことを確かめる為にもう1度観たくなってしまい、2度目の観劇をしました。その時に気づいたことも追記しています。

スポンサーリンク

ミュージカル「イリュージョニスト」登場人物とキャスト

アイゼンハイム:海宝直人

人気のイリュージョニスト。

本名はエドワード(原作ではエドゥアルドですが舞台ではエドワードと言っていると思います)、ユダヤ人の家具職人の息子。

少年時代に引き離された公爵令嬢ソフィ(愛希れいか)への思いを持ち続け、彼女との再会のために奇術の腕を磨き続けてきた。

アイゼンハイムは客の前で奇術を披露することを生業としていますが、客を盛り上げたりといったエンターテインメントの部分はジーガ(濱田めぐみ)が担当している印象で、彼自身は職人気質で神経質、狂気的といった性質が感じられる役作りでした。

レオポルド:成河

オーストリア・ハプスブルク帝国の皇太子。ソフィ(愛希れいか)と婚約している。

舞台上で具体名は出てきませんが、皇帝=フランツ・ヨーゼフ1世。皇太子はレオポルドという架空の名前になっていますが、一部ルドルフがモデルになっていると思われます。

 

帝国の衰退を目の当たりにし、急進的な思想にのめり込んで、現皇帝に取って代わろうとしているともささやかれる過激な人物として描かれています。暴力的、激高しやすいといった感情的な印象を与える役です。

 

ソフィ:愛希れいか

公爵令嬢。少女時代に近所に住んでいたアイゼンハイム(海宝直人)と思いを寄せ合っていたが、身分の違いなどから引き離され、今では皇太子(成河)の婚約者となっている。

ソフィは深窓の令嬢という感じではなく、奇術の実験台に自ら名乗り出たり、皇太子に公然と反論したりと、意志の強い女性として描かれています。

ウール:栗原英雄

警部。

警察の中でも皇太子(成河)の手駒として動いている人物で、皇太子の指示でアイゼンハイム(海宝直人)を偵察する。ソフィの事件を調べているうちに、徐々にアイゼンハイムに情を覚え、疑惑の矛先を皇太子に向けるようになっていく。

2回目観劇して、ウール警部は初期の段階からアイゼンハイムに親近感を覚えていたんだなとわかりました。肉屋の息子として生まれ皇太子に手駒として軽く扱われているウール警部にとって、身分の違いすぎるソフィへの報われない思いを貫き皇太子にも歯向かうアイゼンハイムが、段々自分のヒーローのように見えてきたのかなと感じました。

ウール警部は一番観客に近い立場の人物で、彼と一緒に観客も思考を誘導されていく感覚になります。警察官という職業ですが真面目一辺倒でもなく、洒脱なナンバーもある面白いキャラクターでした。

 

ジーガ:濱田めぐみ

アイゼンハイム(海宝直人)のイリュージョンを目玉とするショーの興行主。アイゼンハイムを拾って育てた人物でもあり、常に行動を共にしている彼の理解者。

ジーガは興行主という肩書ですが、奇術ショーの司会進行役も兼ねていて(『ムーラン・ルージュ』のジドラーのような感じ)ショーアップされた部分はジーガが担っている印象です。

 

アイゼンハイムがソフィと再会し、自分から離れていく中で、アイゼンハイムへの愛情(恋愛感情ではなく姉や母のような家族愛)を自覚していく役でもあります。

後で改めて書きますが、このジーガは近年の濱田めぐみの中でも一番のハマり役なのではと思う位素晴らしかったです!

ミュージカル「イリュージョニスト」あらすじ(ネタバレ前まで)

まずは私たち観客が2幕後半まで「見せられている」あらすじを書いていきます。

 

時は19世紀末のウィーン。ハプスブルク帝国の黄昏。

(ミュージカルファンならばこの時点で「エリザベート」を連想するかと思います。舞台上で具体名は出てきませんが、皇帝=フランツ・ヨーゼフ1世。皇太子はレオポルドという架空の名前になっていますが、時代としてはルドルフがモデルになり得ます)

 

人気イリュージョニスト・アイゼンハイム(海宝直人)は、興行主ジーガ(濱田めぐみ)と共にやってきた巡業先のウィーンで、公爵令嬢ソフィ(愛希れいか)と再会する。

幼い頃想いあっていた二人だが、身分の違いなどから引き離され、ソフィは今では皇太子レオポルド(成河)の婚約者となっていた。皇太子は過激な言動の目立つ人物で、ソフィとの仲も良くない。

 

アイゼンハイムが気に食わない皇太子は、宮殿に彼を呼びつけコケにしようとするが、逆にアイゼンハイムの奇術によって恥をかかされてしまう。

 

アイゼンハイムとソフィは変わらぬ愛を確かめ合うが、二人の関係はウール警部(栗原英雄)の報告により皇太子の知るところに。

 

皇太子に詰問されたソフィは婚約の解消を告げるが、酒に酔って激高した皇太子は剣を手にソフィを追い詰める。

 

その夜、ソフィは宮殿からほど近い場所で、遺体で発見される。慟哭するアイゼンハイム。

 

(ここまで1幕)

 

ソフィの葬儀。ウィーンの市民たちは皇太子の婚約者の死に大きな衝撃を受けている。犯人とされる農夫は拘束され、皇太子はその男を激しく拷問する。しかしソフィの死には謎が多く、市民たちの動揺は収まらない。

 

アイゼンハイムはふさぎ込み、自分を拾ってここまで育てたジーガ(濱田めぐみ)に対しても冷たく当たり、ジーガは彼の元を去る。

 

半狂乱のアイゼンハイムは、降霊術の興行を行い、死者の霊を次々に観客の前に現す。ついにはソフィの霊も降霊させ、彼女の霊は自分を殺した真犯人は別にいると語る。

 

皇太子の命でアイゼンハイムの動向を監視していたウール警部(栗原英雄)だが、徐々にアイゼンハイムに情を覚え、疑いの目を皇太子に向けるようになっていく。

皇太子は事件当日のことを酒に酔ってよく覚えていないと言うが、ついに決定的な物証が見つかる。ソフィの遺体のドレスに落ちていた宝石が、皇太子の剣の飾りと一致したのだ。

 

ウール警部は皇太子の疑惑を皇帝に報告した上で、ソフィ殺害の犯人はあなただと皇太子に迫る。追い詰められた皇太子はピストルで自死する。

 

皇太子の墓前。(今回の事件解明により)昇進したウール警部の元に、ジーガが現れ、アイゼンハイムから預かったというノートを渡す。

 

ミュージカル「イリュージョニスト」ネタバレ結末

ウール警部がアイゼンハイムから渡されたノートを読み始めると共に、アイゼンハイムが仕組んだ事件の真相が明かされていきます。

 

まず一番のネタバレは「ソフィは死んでいない」ということ。

 

全てはアイゼンハイムとソフィが二人で逃げるための芝居だったのです。

 

長くなるので箇条書きにしていきますが(1回しか観ていないので細かい部分に間違いがあるかもしれません)

 

・ソフィは薬で仮死状態になっていただけ

・アイゼンハイムの協力者たちが皇室側の関係者になりすまし、ソフィの遺体を警察から回収していった

 

・アイゼンハイムの降霊術により現れたソフィは、霊ではなくソフィ本人

 

・ウール警部が皇太子を犯人と断定する証拠となった剣と宝石は、アイゼンハイムが宮殿で剣の奇術をした際にすり替えて仕込んだもの

・皇太子は事件当日の記憶が曖昧だと言い、ウール警部は皇太子への疑念を強めたが、実はソフィから薬入りの飲み物を飲まされ酩酊状態にさせられていた

 

アイゼンハイムがいつからこの計画を始めたのか(+どこからソフィが加担していたのか)詳しくは明らかにされません。ただ、少なくともソフィが、アイゼンハイムとの思い出の品であるロケットをこれ見よがしに身に着け、皇太子に咎められる時点では始まっていると思われます

2回目の観劇で確認したところ↑は、アイゼンハイムが宮殿を訪問した際の出来事でした。

つまり、宮殿での奇術でアイゼンハイムが皇太子を激高させた後、アイゼンハイムとソフィが「思いあっているけれど一緒にはなれない…」と苦悩しているシーンは全て、偵察しているウール警部に二人の関係を見せつけるための芝居ということですよね。(既に二人で逃げるために皇太子を犯人に仕立てる計画を進行しているわけですから)

 

他にも「アイゼンハイムとソフィの仲を疑った皇太子が、ソフィを殺した」ように見せるために様々な工作がされ、「ウール警部が皇太子を疑い追い詰める」ように誘導されていたことが明らかになります

 

そして全ての種明かしが終わると、アイゼンハイムとソフィは二人で去っていきます。

ウール警部は、自分が無実の皇太子を死に追いやってしまった手前、この真実を表に出すことはしないでしょう。

 

ソフィは既に死んだことになっていて、アイゼンハイムも、イリュージョニストとしての全ての財産や権利をジーガに譲り渡している(彼はそれを「遺言書」と呼んでいる)ので、世間的には消えた存在となります。

 

アイゼンハイムとソフィは、二人で生きていくための手段として、自分たちを世間から消したというのがこの物語の着地点になるかなと思います。

幼い日アイゼンハイムとソフィが引き離されそうになった時に、ソフィが叫んだ「(アイゼンハイムの奇術で)私たちを消して!」という願いを、10年の時を経てアイゼンハイムが叶えた、とも言えるかもしれません。

被害者と加害者、白と黒が裏返しになる展開

さて、この物語はハッピーエンドでしょうか?

最後のシーンで、アイゼンハイムは真っ白なロングコート、ソフィは白いドレス姿という、まさに物語のヒーローとヒロインの象徴のようなビジュアルで幸せそうに手を取って去っていきます。

一見、想いあっていた主人公とヒロインが苦難の末に結ばれて大団円、なのですが、世間から消えた状態で生き続けなくてはならない2人の未来は果たして明るいものなのか、大いに疑問が残ります。

 

そしてまっさらな状態でこの作品を観劇した後、私が最初に思ったことは「ソフィは生き返っても、二人に濡れ衣を着せられて死んでしまった皇太子は生き返らないんだけど?」でした。

二人が幸せになるための皇太子への仕打ちが容赦なさ過ぎて、この二人を祝福して良いのか?という気分になってしまいます。皇太子が死んだのは想定外ではなく、ウール警部を誘導して皇太子を死に追いやるところまで、アイゼンハイムとソフィの計画内と思われるからです。

 

皇太子は暴力的で、皇帝の地位を脅かそうとする過激な思想の持ち主という人物としての欠陥はあったとしても、ソフィの殺人事件に関しては完全な冤罪であり被害者です。

1幕の最後、アイゼンハイムと皇太子がちょうど対照になるような形で膝をついてソフィの死を嘆いているのですが、あそこで本当に嘆き悲しんでいたのは、アイゼンハイムではなく皇太子の方だったんですよね。皇太子にも彼なりにソフィへの想いがあったのだと思います。

婚約者に殺されたソフィと、愛する人を奪われたアイゼンハイム、という途中までは被害者のように見えていた二人が、実は加害者側で、加害者のように見えていた皇太子が被害者だった。最後のシーンでアイゼンハイムとソフィが白い衣装を着ているのは、実は真っ黒な彼らへの皮肉なのではと感じてしまうほどです。

 

もちろん時代背景や身分の違い、皇太子の性格などを考えると、アイゼンハイムとソフィが一緒になるためには、皇太子を(間接的に)殺すしかなかったというのもわかります。

ただ、そのために仕掛けた罠の攻撃性や残虐さが、過剰報復というか、私としては物語の主人公とヒロインの範疇を超えているように感じて、見終わった時に「彼らを正として良いのか?」と善悪の判断を揺さぶられるのが、この「イリュージョニスト」の面白いところだったのかなと解釈しました。

皇太子の演じ方次第で作品全体が違ったものになる面白さ

皇太子を演じた成河さんの居方も、「イリュージョニスト」という物語の後味に大きな役割を果たしていたなと思います。

 

皇太子レオポルドは激高しやすく暴力的で、ソフィが結婚相手として嫌うのはわかるのですが、一方で栄華を失いつつある帝国の皇太子、という特殊な立場故の孤独や焦燥感、彼なりに必死に何かを変えようとしていたというのも伝わってくるので、観客側としても彼を悪者にし切れないんですよね。

 

皇太子を完全に悪役のように作っていたら、主人公とヒロインが白く見えるか?というと、それが正解の作品でもない気がするので、観劇後に「正しいのはどっち?」ともやもやすることも計算されたバランスで作られているのだろうなと思いました。

 

そういう意味で、成河さんの存在感、エネルギー量、大騒ぎすればするほど皇太子の人間臭さや哀れさがむき出しになる、というさじ加減が絶妙でした。

 

興味深いのは、「イリュージョニスト」の初演発表時には、海宝直人さんが皇太子役にキャスティングされていたことです。海宝さんの皇太子役は実現しませんでしたが、同じ脚本・演出で演じたとしても、成河さんの皇太子と海宝さんの皇太子では、絶対に物語全体の印象が大きく変わるだろうし、アイゼンハイムと皇太子の組み合わせによっても全く違った後味の作品になりそうだなと感じます。

 

この「イリュージョニスト」が今後も再演を重ねる作品になり、色々な役者さんの組み合わせで各役を見られる未来も楽しみにしたいと思います。

ミュージカルで「主役から欺かれ続ける」難しさ

今回「イリュージョニスト」を観て、自分のミュージカルの見方のクセのようなものに気づかされることがありました。

 

「イリュージョニスト」では2幕後半までずっと、観客は主役のアイゼンハイムに騙され続けています。予備知識なく見ていても、彼が観客に何かを隠していることはわかるので、その状態でアイゼンハイムが自分の感情を独白するようなナンバーが入ると、聴き方がとても難しいなと感じました。

 

ミュージカルでは、歌(特にソロナンバー)は登場人物の心情を吐露するためによく使われます。そこでの歌は客席だけに向けた独白であることも多いので、舞台上の他の登場人物は知らないある人物の思いを、歌を通して観客だけは知っている、ということがよくあります。

例えば「レ・ミゼラブル」において、ジャベールが「Stars」で、エポニーヌが「On my own」で歌う決意や思いは、観客は知っているけれど他の登場人物は知らないままだと思います。

 

このように、ミュージカルでは、その人物と観客だけの秘密の共有と感情移入がソロナンバーでの独白を通して行われることが多いように思うのですが、今回の「イリュージョニスト」では、主役が観客に本心を隠し続けたままソロナンバーを歌うという状況になります。

 

演劇であれば、最後の最後にこれまでの全てをひっくり返すような種明かしがされる作品は珍しくなく、芝居のほとんどの間、登場人物に騙されていても特に違和感はなかったのですが、ミュージカルの場合、歌をどう聴くかという部分に難しさが生じるなと。

 

私自身のミュージカルの見方のクセとして、登場人物(特に主役)が歌を通して客席に開示する感情や思いは真実であり、たとえ他の登場人物には届かなくても、客席はそれをちゃんとわかっているよ、というスタンスだったので、「イリュージョニスト」のように主役の気持ちが意図的に隠された状態で歌われるナンバーでは、受け止め方がわからずに戸惑ってしまうんだなというのが自分自身の発見でもありました。

結末を知った状態でアイゼンハイムのソロナンバーを聴いたら、おそらく全く違った受け止め方ができると思うので、そう考えるとリピートを前提とした作品の作り方なのかもしれません。

というわけでまんまと制作側の思惑に嵌って?2回目の観劇をしてきたわけですが、主役が観客を騙している中でミュージカルナンバーを聴く難しさというのは、更に増したような気がしました。

2幕のアイゼンハイムのソロナンバー(最後の奇術をする前)の心情は、もちろんネタバレを知った後なので理解できたのですが、逆に1幕でアイゼンハイムとソフィが苦悩して歌うナンバーや、ソフィを失った(と見せかけている)アイゼンハイムの慟哭のナンバーなどは「でもこれ全部茶番だからな」と思ってしまって感情移入が難しく…。

自分がこれまでいかに「登場人物は観客に(だけ)本当の気持ちを打ち明けてくれている」という無意識の前提のもとで、ミュージカルナンバーを聴いていたのか、ということを思い知らされる体験でした。

ジーガはアイゼンハイムの共犯なのか?

「イリュージョニスト」において、アイゼンハイム(海宝直人)とソフィ(愛希れいか)は加害者側、皇太子(成河)とウール警部(栗原英雄)が被害者側になると思うんですが、ジーガ(濱田めぐみ)はどうなんだろう?とふと思いました。

 

2幕でアイゼンハイムは、自分を心配するジーガに対し「あんたはただの他人だ」というようなことを言って突き放し、距離を置きます。

シンプルに考えると、これはジーガを自分の計画に巻き込まないためのアイゼンハイムの配慮で、ジーガはアイゼンハイムとソフィが打った大芝居には無関係で気づいていなかった。2幕でアイゼンハイムに呼び出され、ウール警部宛のノートを読んで、ジーガも初めてアイゼンハイムの真意と計画に気づいた、ということだと思うのですが…

 

個人的にどうも引っかかっているのが

・1幕でソフィが剣を手にした皇太子から逃げ回っている場面(「皇太子がソフィを殺そうとしている」と目撃者たちに印象付ける計画の最中)で、ジーガも何かを叫んで走り回って、場の混乱を大きくしているように見えたこと(ジーガのキャラクターからすると、あそこまで取り乱すのは少し不自然)

・2幕最後のイリュージョンで、皇太子側に追い詰められながらアイゼンハイムが消えた時のジーガの高笑い

もしかするとジーガはただの傍観者ではなく、アイゼンハイムと共犯関係なのか?と思ったりもしたのですが、はっきりはわからず…

結末を知った上で、ジーガの動きや表情に注目してもう1度観たら何かわかるのか、気になるところです。

ここが一番気に掛かっていたところだったので、2回目の観劇で思う存分ジーガを観察してきました!

結論からいうと、ジーガは共犯ではないです。疑ってごめんなさい。

事件の発端となる酒場での場面。激高した皇太子にソフィが首を絞められかけている時、別の場所でジーガも男とトラブルになり襲われかけています。その男がナイフを持ってジーガを追いかけはじめたので、ジーガが大声を上げて逃げ、「ナイフを持っている!」というようなことを叫びます。

アイゼンハイムも、はじめはソフィではなくジーガの声を聞きつけて、ジーガを心配して探し回っているような動きをしているんですね。

当然ながら、ソフィとジーガが同じタイミングで襲われたのは偶然ではないはずです。最初は、ジーガも襲った男もアイゼンハイムに協力していて、混乱を引き起こす為にジーガが襲われたフリをしたのかな、とも思ったのですが、その後のジーガの言動をみるとそれはなさそうだなと。

ということは、恐ろしい話ですが、アイゼンハイムが男に金を渡すか何かしてジーガを襲わせた可能性が高そうなんですよね……。

ジーガを使って場を混乱させることで、客たちの視線をソフィの動向から逸らし、「ナイフを持った男」というジーガの目撃談を、ソフィ殺害の方の犯人のようにミスリードする、、、という感じなのではと。

ジーガを襲った男と、ソフィ殺害犯として捕らえられた農夫が同一人物かまではわからなかったのですが、その可能性もあるのかなと思います。

アイゼンハイムが、大恩人のジーガまでも自分の計画に利用していたとしたら、本当に恐ろしい話です…。

そしてジーガは自分も怖い思いをしたにもかかわらず、ソフィが行方不明になったと一報が入ると、酒場の人たちを落ち着かせようとしたり、アイゼンハイムを気遣ったりしていて、2回目を観て改めてジーガの器の大きさを実感しました。

・2幕最後のイリュージョンで、皇太子側に追い詰められながらアイゼンハイムが消えた時のジーガの高笑い

これはジーガの価値観に起因するものかなと。ジーガは元々「真実」に対して重きを置いていない人なんですよね。(ナンバーでも台詞でも、全ては嘘、真実がそんなに大事か、みたいなことを言っています)

だからアイゼンハイムがしたことの善悪や事実関係、アイゼンハイムが自分すら騙していたことも、皇太子が無実の死を遂げたことも、ジーガにとっては割とどうでもいいことで、アイゼンハイムが奇術師という特性を生かして彼の目的をやり遂げたことに対し、あいつやりよった!あっぱれ!という誇らしい気持ちなのかなと。

最後にウール警部の元に種明かしに来る時のジーガが、ずっと楽しそうなのが印象的でした。

蛇足ですが、アイゼンハイムはウール警部に種明かしをする必要は全くなかった(真実を知った警部が二人を追うリスクも無くはない/真実を知らない方が警部も幸せだったはず)にも関わらず、わざわざノートをジーガに届けさせました。

これは1幕冒頭で奇術のトリックを知りたがってノートを見ようとしていたウール警部への、皮肉込みの最大級の「ファンサ」ということですよね。ノートを渡された時の警部は少年のように嬉しそうです。

アイゼンハイムって考えれば考える程、物語の主役とは思えない性格の悪さ(笑)で、なんて奴だ!と驚愕してしまいます。

濱田めぐみのジーガだけでもチケット代の価値あるハマり役

さて、ジーガを演じた濱田めぐみさん。出演作をすべて拝見できているわけではないのですが、これまで観た中で圧倒的にハマり役のように感じました。

ジーガにも色々な顔があって、興行主・ショーマンとしての顔、奇術の興行という猥雑な業界でのし上がってきたからこその清濁併せ持つ面、アイゼンハイムに対する家族愛と執着を自覚する姿、など奥行きのある人物像を、存在感たっぷりに演じられていました。

 

奇術集団の中心で歌うナンバーや、アイゼンハイムへの思いを独白するソロナンバーなど、歌のパートもふんだんにあり、今更過ぎるのですが、改めてめぐさんの歌は素晴らしすぎる!と実感しました。

他の登場人物の衣装がモノトーン多めの中、ジーガの衣装はバラエティに富んでいて、ロングコート&ステッキ姿からストライプのパンツスーツ、黒燕尾服などマニッシュな装いを色々と楽しむことができます。その中で、2幕最後にアイゼンハイムと和解するシーンでは、シンプルなスカート姿で、これまでの鎧が取れたようなジーガの姿も印象深かったです。

 

とにかく濱めぐさんのジーガを観れただけでも、チケット代分の価値は十分にあったなと感じる程のハマり役ぶりとパフォーマンスだったので、観劇を迷っている方がいたらぜひおススメしたいです!

1幕の幕開きで、ジーガが客席に対し「この世は全て嘘。私を信頼してチケットを買ってくださった、、、それが既に大間違い!」という感じのことを言うのですが、私はめぐさんが出るのがきっかけの一つでこのイリュージョニストのチケットを買って本当に良かったと思います!

改めて、濱めぐさんの脂の乗った舞台姿を、同時代に生で観られていることの有り難さを実感した作品にもなりました。

ミュージカル「イリュージョニスト」公演情報

2025/3/11(火) ~ 2025/3/29(土)@日生劇場
2025/4/8(火) ~ 2025/4/20(日)@梅田芸術劇場メインホール

[原作]ヤーリ・フィルム・グループ制作映画「幻影師アイゼンハイム」/スティーヴン・ミルハウザー作「幻影師、アイゼンハイム」

[脚本]ピーター・ドゥシャン
[作詞・作曲]マイケル・ブルース
[演出]トム・サザーランド

[出演]海宝直人 / 成河 / 愛希れいか / 栗原英雄 / 濱田めぐみ / 他